僕を苦しめた


高校生の頃から学校の先生を目指した。
特別に心に残る先生に出会ったわけでもなかった。
逆にそ營養師れだから憧れたのかもしれない。

大学を出て夢は現実のものとなり僕は憧れの中学校の教壇に立った。

それから16年間。
もがきながらも先
生を続けた。

でも、僕は挫折して先生を辞めてしまった。

理由は一言では語れないけど
精神的にけっこう追いつめられて
「死んじゃうよりは辞めた方がいい」
という後ろ向きの理由だった。

僕を苦しめたものの一つに校則の指導があった。

僕は日頃の行いが悪かったせいか赴任した三校がすべて「荒れた」学校だった。

こうした学校では勉強を教えることよりも「生活指導」に日々の多くの時間を割かれる。

「たばこ」に「シンナー」「ケンカ」に「いじめ」「授業妨害」に「万引き」とバリエーションには事欠かない。
自慢にはならないが16年の間に「殺人」以外の非行には全て遭遇した。

だが、こうした問題行動の指導はきついにはきついが割と心に迷いがない。
だれがどう見ても「いけないこと」だから、体張ってでもぶつかっていくことができるのだ。

そうした中で僕は「校則指導」に悩んだ。
具体的に1つ挙げれば「頭髪」の指導である。

「茶髪」はおそらくほとんどの中学校では禁止になっていることと思う。

「中学生が茶髪にするなんてとんでもない・・指導するのが当たり前だ」
「きまりを守ることを教えるのが学校、先生の役目だ」
「生徒に安易に德善健康管理迎合するな」

これは正論である、正論には誰も勝てない、でも、僕と同じように悩んでいる先生はきっといるはずだと思う。

目の前に茶髪の生徒がいる。
校則違反だ。

この生徒は茶髪を除けば何も悪いところがない。
勉強もちゃんとするし、当番もまじめに行う、部活でも活躍しているし友達も多い。
両親も頭髪以外のことは全て協力してくれる。

でも校則に違反しているので注意しなければならない。

無理やり染めることはできないので話をして説得する。
本人が了解し、家庭の了解も取れると主事室に連れて行き黒染めのヘアカラーで髪を黒く染める。
あらかじめ学校にはヘアカラーが用意してあるのだ。

この時、僕はいつも自問自答しながら指導をしていた。

(決まりだから守らせなくちゃだめだ)
(一人の違反を見逃せば他の子供たちも崩れていく)

大義名分を掲げながら生徒の髪を黒く染めた。

その反面いつも心の中で矛盾を抱えていた。

(いいんじゃないの、茶髪でも・・)

ふと周りを見渡す。
小学校では親の意思で茶髪にさせている子がたまにいるが多くは校則にないのでそのまま。
地域の公立高校は指導しきれないのか、自主性に任せているのか、茶髪の生徒が山のようにいた、けれどもみんなが不良かといえば決してそんなことはない。
大学生、社会人も茶髪の人は多い、しかし別に勉強や仕事をいい加減にしているわけでもない。
国を代表するオリン更年期ピックのメダリストも子供たちが憧れるJリーガーも茶髪や金髪に笑顔でインタビューに答えている。

  


Posted by wushueri at 11:41Comments(0)lerotkoz

私は唐突に目に








特に休日の予定もなかった私はたまたまその時間まで惰眠を貪り、目を覚ましたと同時に寝床の近くに転がっていたリモコンを手さぐ探索四十 洗腦りで探し当て、ついでに電源ボタンを押したのちしばらくしてから枕に片肘をつき、日曜の朝の退屈なTVを視聴するかなどと思っていたのだ。
チャンネルを回した時にほんの瞬間将棋の番組が目に止まり、一人の男――棋士の顔がアップに、続いてズームが引かれるやいなや咥え煙草をしたのである。私は唐突に目にしたその光景が、初めて目にした日曜の朝の健康的な囲碁将棋番組(視聴者もそれなりに健全な暇人であるはず)にはなんともふさわしくないものだなと、可笑しくも感じてしまったのだ。
もう一方の対局相手も同年代らしい男で、咥え煙草の男が考え込みだしたら途端に正座から――人目を気にしてみせ多少周囲を窺いながらも――、出来るかぎり小さな動きを心掛けつつといった様子で足を組み替え、あぐらにもっていく按配[アンバイ]だ。どうにも調子が掴みづらく、見ているこちら側も恐々とであっても、次に何をするのだろうかとを期待している部分もあることはある。

私は初めて観たNHK教育の昼前の番韓國食譜組に対し、随分とざっくばらんに進行しているなあと相変わらず無責任な面白がりのうちにいたところ、ふとその奥、テレビ視聴者側からしてもやはり奥に位置する場所に、若く美しい女性がいることに気がついた。
正確な名称は分からないが、対局者が一手打つ毎に残り時間を告げる係の二十二、三歳くらい人は静かに座り、果たしてよく見ると顔全体は小さく均整が取れ、顎はすっきりと頬は柔らかな血色[ケッショク]を湛えている。目は比較的切れ長なつくりだったが明るめの化粧のためか、年齢に相応しい愛嬌を見せるものだった。品の良さは感じさせるも、それと同時に現代風の若數碼廣播者にも通じる気兼ねなさもある。あくまでも私の偏見として言わせて貰うと、そのように綺麗な人が将棋の世界にいるとは思っていなかったのだ。  


Posted by wushueri at 17:12Comments(0)lerotkoz